ある天才外科医の「恋」から生まれた、手術に欠かせないアノ道具とは?~ウィリアム・ハルステッドの生涯

「レジデント制度の父」「米国医学発展の草分け」などと称され、現代までその名が知られるウィリアム・ステュアート・ハルステッド(1852-1922)。19世紀後半から20世紀始めにかけて、アメリカ医学界を代表する天才外科医です。
通称「ハルステッド手術」と呼ばれる根治的乳房切断術をはじめ、多くの術式を発表し、レジデント制度を始めるなど医師としてさまざまな偉業を果たした彼ですが、ただ優秀な外科医では余りあるエピソードを多数残していました。そのあふれるバイタリティーには、医師の皆さんも感心させられるところがあるのではないでしょうか。
さらに、ハルステッドは現代の医師の皆さんが確実に使用している、「ある物」を生み出した人物でもあるのです。

「リア充」からカリスマ天才外科医へ

ハルステッドは1852年にアメリカの上流階級に生を受けました。イェール大学在学中はフットボール部の主将を務め、野球やボートに熱中する快活な学生だったといいます。
その後ニューヨークの内科外科医学校で学び、トップクラスの成績で卒業。研修医時代からさまざまな功績を上げ、彼の外科医としての活躍が始まりました。
その後ドイツやオーストリアへ留学したハルステッドは1880年に帰国し、さまざまな病院で手術を行って外科医・指導者としてカリスマ的な人気を誇りました。ハルステッドの手術については、「彼の行う手術は非の打ちどころのない芸術そのものだった。彼が行う手術は詩そのものだった」という言葉が残されています。
1882年には乳がんに対する乳房切断術を発表し、1892年には鼠径ヘルニアの術式を確立させました。

アメリカで初の輸血治療や、胆嚢切除手術を行ったのも彼だといわれています。輸血治療については分娩後に大出血を起こした妹に、胆嚢切除手術は家の台所で母に行ったそうです。命を救うためとはいえ、家族に対して実験ともいえる治療を行うとは驚きです。

 

「ヤク中」を乗り越えた先のレジデント制

1885年には、神経ブロック法と表面麻酔法を発表しています。しかし、この発表までに行った実験は、コカイン溶液を自分に皮下注射してみるというもの。そのためハルステッドの研究グループは全員が重度のコカイン中毒に陥ってしまいました。
友人たちはハルステッドを無理やり病院に入院させ、薬物中毒の治療は約1年にわたったそうです。

なんとか薬物中毒の状態を脱したハルステッドは、今やアメリカ屈指の名門大学で、その当時設立されたばかりのジョンズ・ホプキンス大学医学部・初代外科教授となりました。
それまでの徒弟制度に近かったアメリカの外科教育に、ハルステッドはレジデント制度を導入します。今でもアメリカでは、4年制の大学を卒業した後に4年間メディカル・スクールで学び、3~5年程度の卒後研修を受けなければ科を問わず医師として働くことはできません。このレジデント制を最初に導入したのがハルステッドです。

彼のもとで訓練を受けた外科医たちによって、レジデント制度と高度な外科技術は全国に広まっていきました。ハルステッドはその功績を讃えられ、「ウィリアム・オスラー」「ハワード・アトウッド・ケリー」「ウィリアム・ヘンリー・ウェルチ」とともに、ジョンズ・ホプキンス大学の「ビッグ・フォー」と呼ばれています。

 

皮膚炎に悩まされる医療者を救ったのは……

ハルステッドの功績は多大ですが、その中に現代の医療現場に欠かせない、ある「物」に関する出来事があります。

19世紀末頃、世界的に手術は素手で行われていました。ジョンズ・ホプキンス大学も例外ではなく、ハルステッドももちろん手術は素手。当時はゼンメルヴァイスが手洗いの必要性を唱え、コッホやパスツールがその理論を解明したばかりといった時代です。感染症を防ぐためには、医師の手を殺菌する必要があることがわかってきましたが、なかなか無菌化することはできません。できたとしてもごく短時間。そのため、どんどん強力な消毒薬がつくられ、皮膚炎に悩む医療者が続出しました。

ジョンズ・ホプキンス大学病院の手術室看護師だった、キャロライン・ハンプトンもそのひとりです。消毒液として使われていた昇汞(塩化第2水銀)による皮膚炎は、彼女に手術室看護師の職を辞する決断を迫るほどでした。
優秀だったキャロラインを失いたくなかったハルステッドは、手術の際に手の感覚を妨げない手袋があれば、と考えました。そこで思いついたのがゴム。空気入りタイヤが実用化されて間もない1890年、ハルステッドはグッドイヤー社に薄いゴム製の手袋の制作を依頼しました。

ハルステッドがゴム製の手袋によって無菌が保てると気づいたのは、後になってのこと。看護師の皮膚炎がよくなっただけでなく、手術による感染症が激減したのです。殺菌性も素手を消毒していたときよりも高く、ここから世界中の医療現場へゴム手袋が普及していきました。

 

せっかくの手袋を彼女が使わなかった理由とは?

出来上がったゴム手袋を、しかしキャロラインが使うことはほとんどありませんでした。なぜなら、このことをきっかけに彼女はハルステッド夫人となり、手術室看護師の職を引退したから。

ハルステッドが発表した数々の論文の中に、消毒液の刺激作用について述べたものがあります。その中で彼は、「特別な女性のために薄いゴムの手袋を作らせた。それがとても良い出来だったため追加オーダーされた」という内容をつづっています。
無菌手術を実行するため、「従来の手術室では無理だ」と病院の敷地内に大きなテントを張り、特製の手術室をつくったハルステッド。そんな彼でしたが、発案したゴム手袋は殺菌や衛生を目的としたものではなく、「恋の小道具」だったのかもしれません。

恋した看護師と結婚した後も、薬物中毒からは抜け出せず、晩年はモルヒネ中毒に苦しんだという説もあります。ただ、社交的でおしゃれな紳士と慎み深い淑女の結婚生活は、なかなか幸せなものだったよう。

数々の手術法の発表やレジデント制の導入など、ハルステッドは70年の生涯の中で、患者のため良い医師を育成するため、超人的ともいえる活躍ぶりを見せました。
しかし、その中のひとつであるゴム手袋だけは、医学発展のためではなく、たったひとりの恋人のためのもの。患者のためを思うことももちろん大事ですが、誰かを思いやる気持ちが、医師として偉業を成し遂げるための柱なのかもしれませんね。

(文・エピロギ編集部)

<参考>
新庄徳洲会病院「Vol.9 外科医の恋心から生まれた手術用手袋」
http://www.shin-toku.com/renewal/10column/column09.html
北浜杜夫「アメリカの外科」
https://akiokitahama.wordpress.com/2011/08/01/thesurgery/
ヌーランド,シャーウィン・B./曽田 能宗 『医学をきずいた人びと―名医の伝記と近代医学の歴史〈下〉』(河出書房新社、1991年)

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