第5回 人間から“感情”を奪い去ったロボトミー手術の功罪
「その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるものとする。」
アルフレッド・バルンハート・ノーベルの遺言によって創設されたノーベル賞。その一分野である医学・生理学賞の受賞を振り返ると、人類と病の闘いの歴史であることがわかります。
いまでは当然と思われている医学の常識が成立するまでに、研究者たちは多くの困難を乗り越えてきました。その苦難の歴史、医学の発展の歴史を紹介します。
第5回は精神外科の代表としても有名な「ロボトミー手術」。第二次世界大戦中から戦後にかけて爆発的に流行したこの手術は、日本でも行われました。しかし、とある大きな副作用が発覚したことで一気に廃れてしまったのです。
瀉血に浣腸、水責め……精神病治療の歴史
いまでこそ精神疾患は投薬治療が主流となっていますが、薬が開発されたのは1950年代と、意外にも最近のこと。薬のない時代、医師たちは精神疾患にどう対処していたかご存じですか?
古代から中世までは、精神疾患は体内に存在する何かしらの「悪い物質」が引き起こすと考えられていました。それを排出する目的で、瀉血や浣腸などを施すことが多かったようです。
時代が進むと、水責めや旋回椅子といった治療法が考案されました。これらはショック療法の一種で、患者を湖に突き落としたり、椅子に座らせ高速回転させたりすることで一時的に症状を抑えていたようです。もちろん当時の医師は真剣そのものだったのでしょうが、今にして思えば一種の拷問のようにも感じられますね……。
近代からは科学技術の発達とともに、精神疾患の治療法も変化します。ただし、それらが必ずしも効果的というわけではありませんでした。
例えば、高熱療法として有名な「マラリア発熱療法」。これは患者をわざと病気に感染させ、高熱で精神症状を治すというものです。梅毒性精神疾患への処置として有名でしたが、現在では根拠に乏しいとされています。
同様に、一時的に流行したものの現在では全く行われていない治療法があります。それが「ロボトミー手術」です。ロボトミー(lobotomy)とは、臓器を構成する単位である葉(lobe)を切除(tomy)することを意味する術語。具体的には、眼窩(まぶたの下の空洞)から棒を差し込み、脳から前頭葉を切り離します。かんしゃくやヒステリーを抑える効果があり、主に統合失調症やうつ病の患者に対して行われました。
ロボトミー手術が流行した2つの理由
なぜロボトミー手術がアメリカで流行したのか? その理由は2つあります。1つは、手術の効果が目に見えてはっきりと現れたからです。
ロボトミー手術の創始者は、ポルトガルの医師エガス・モニス。精神障害の原因を「前頭葉のシナプスの不具合」と考えた彼は、前頭葉と視床を切り離すことで症状を抑えようとしました。そして1936年に手術を行い、精神症状がぴったりと治まることを証明したのです。この技術はアメリカの医師によって改良され、「ロボトミー手術」として広く知れ渡りました。
もう1つは、アメリカの精神病患者の爆発的な増加が関係しています。1945年に第二次世界大戦が終わると、心的外傷を負った兵士が何千人も帰国しました。その治療法として、ロボトミー手術が選ばれたのです。
ロボトミー手術は眼窩に器具を差し込むだけで施術でき、長期入院も必要ありません。その手軽さと確かな効果から絶大な支持を得て、手術を受けた患者の数は2千人を超えるといわれています。
ロボトミー手術の創始者、モニスの栄光
1949年、ロボトミー手術の創始者であるモニスはノーベル賞を受賞します。彼はたいへん博識多才な人物で、スペイン大使や国会議員を歴任しています。医師としても優秀で、特に神経外科の分野でその才能を発揮しました。過去には1925年には脳血管造影法を考案してノーベル賞候補になったこともありますが、落選しています。
そんな経歴を持つモニスですから、受賞の喜びは相当のものだったといえるでしょう。しかし、その栄光も長くは続きません。ロボトミー手術に対する批判が増えてきたのです。
実は、ロボトミー手術には重大な副作用がありました。それは、患者から「感情」を密かに奪ってしまうという恐ろしいもの。人間の感情や意志を司る前頭葉を切り離すことで、患者は心を失い、まるでロボットのようになってしまうのです。
その危険性が認識されはじめた頃、ちょうど抗精神病薬が開発されました。大量生産が可能で手軽に投与でき、副作用も比較的少ないことから一気に普及。あっという間に精神病治療の主流となり、ロボトミー手術とその地位を取って代わりました。現代では、もはや「精神外科」という医療分野も忘れ去られつつあります。
まとめ
人々から感情と、生きる楽しみを奪ったロボトミー手術。それが医学の歴史に残した爪痕はあまりに大きいものでした。ノーベル賞については、いまも被害者やその家族が取り消しを求めているそうです。
ちなみに、モニスは晩年、自らの患者に銃撃され下半身不随となっています。脳血管造影法というノーベル賞級の偉業を達成していながら、ロボトミー手術ばかり取り上げられることで批判の的とされたモニス。その数奇な人生は、ノーベル賞の裏話としてひっそりと語り継がれていくことでしょう。
(文・エピロギ編集部)
<参考>
ログミー「史上最悪のノーベル賞 ロボトミー手術の光と影」
(http://logmi.jp/107575)
せせらぎメンタルクリニック|精神科・心療内科「昔の精神科で行われていた、驚くべき治療法」
(http://seseragi-mentalclinic.com/oldtreat/#i-8)
Timesteps「ロボトミーはそれからどうなったか」
(http://timesteps.net/archives/2359253.html)
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コメント一覧(2件)
2. 匿名 さん
取り去って欲しかったのは人の感情ではなく、鬱などの病気。見当違いの処置をされていたのなら、訴えられて当然だよ。
1. へろ さん
いまも被害者やその家族が取り消しを求めているそうです。とあるが、感情はないはずじゃ?