ノーベル賞で辿る医学の歴史

2018年 受賞研究紹介|免疫を生かした新たながん治療

「その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるものとする。」
アルフレッド・バルンハート・ノーベルの遺言によって創設されたノーベル賞。その一分野である医学・生理学賞の受賞を振り返ると、人類と病の闘いの歴史であることがわかります。いまでは当然と思われている医学の常識が成立するまでに、研究者たちは多くの困難を乗り越えてきました。
今回は2018年のノーベル医学・生理学賞に輝いた本庶佑氏の研究と、「がん免疫療法」の歴史について紹介します。

 

切り開いた「免疫でがんを治す」という道

2018年のノーベル医学・生理学賞は、免疫について研究する本庶佑氏(京都大学特別教授)と、ジェームズ・アリソン氏(米テキサス大学教授)の共同受賞となりました。

本庶氏は免疫のブレーキ役となる分子「PD-1」を発見し、がんに対して免疫が働くようにする治療薬「オプジーボ」の開発に貢献しました。従来のがん治療は、外科手術、放射線、抗がん剤が中心でしたが、そこに「免疫療法」という第4の道を開いたことが評価されています。

共同受賞したアリソン氏も同様に、フランスの研究者によって発見された免疫細胞のブレーキ役となる「CTLA-4」というたんぱく質を基に、治療薬「ヤーボイ」を開発。世界で初めてがんの治療につなげた点が評価されています。両者は時に競い合って研究成果を上げてきましたが、近年は医療現場で2人の薬が併用されるなど、相乗効果を生み出しています。

 

研究は分子生物学から出発

受賞によって医療界だけでなく広く一般に衝撃を与えた本庶氏は、1942年、京都市に生まれました。医療の道を目指した理由は父が医師だったこと、そして野口英世の伝記に影響を受けて「医師として研究者として多くの人の役に立ちたい」と思ったからでした。
1960年に京都大学医学部に入学し研究者としての一歩を踏み出しますが、初めから免疫に目をつけて研究してきたわけではありませんでした。さまざまな師の下で興味を持った研究に取り組み、生涯をささげるテーマを絞り込んだのです。

同氏がまず興味を持ったのは、分子生物学でした。大学入学後に『生物学の革命』と出会い、著者である柴谷篤弘先生の生物学と医学の関連に対する先見性に感銘を受けます。父親の同僚であった柴谷先生を訪ねて話を聞いたり、京都大学で行われていたセミナーに足を運んだりするなど、分子生物学の勉強に励むようになりました。

本庶氏が2年生になる頃、米国で9年間の生化学研究を終えた早石修先生が、京都大学の教授に就任しました。元々基礎研究に興味を持っていた本庶氏は、早石先生の研究室に入ります。「生命科学は、頭の中で考えるだけでなく、自然を観察し、まず疑ってかかるべきだ」という姿勢を受け継ぎ、基礎研究者の道を歩もうと決意するのでした。

早石先生から研究の姿勢について教わったものの、実際に会うことができるのは多くて週に一度。そのため米ロックフェラー大学でタンパク合成の研究をしてきた西塚泰美助教授から直接の指導を受けていました。
西塚先生の下で「タンパク質合成の阻害にNADが必要となるメカニズムを、分子レベルで突き止める」というテーマで研究を始めた本庶氏。そこで経験したのは、仮説を立てて翌日に実験・検証し、その夜にはまた次の仮説を立てるという生活でした。それが非常に楽しく、研究をする醍醐味だと気付くきっかけになったのです。

 

アメリカ留学、そして免疫の研究へ

1971年、本庶氏は新たな環境を求めてアメリカに留学します。「医学部生として、治療への応用を意識したい。これまで研究してきた生化学分野ではなく、哺乳類のDNAを対象にした分子生物学分野の研究をしたい」――意気込んで訪れたのは、脊椎動物の遺伝子を扱っていたカーネギー研究所のドナルド・ブラウン博士の下でした。

ブラウン博士は自らが立てた仮説の検証を本庶氏に託します。その仮説は、カエルのリボソームRNA遺伝子の構造として、可変部(V)と定常部(C)が繰り返し存在するのではないか、というものです。その検証は、学生の頃からの「免疫の問題を分子生物学で明らかにできないか」という構想に向き合うチャンスでした。
当時は世界中で10グループほどが抗体の多様性と分子のメカニズムを探ろうとしのぎを削っていました。そこに飛び込み、激しい競争の中に身を置いた経験は、後の研究人生にもつながっているといいます。最終的に仮説の解明に結びつけたのは本庶氏ではありませんでしたが、それがかえって彼の「日本発の良い研究をしてやろう」という挑戦心を生み、帰国へと導いたのでした。

帰国後の研究テーマとして、選択肢は二つありました。一つは大学院時代に行っていた毒素の研究。もう一つは、免疫の抗体が敵に合わせて形を変える仕組みの解明でした。後者は世界中でも競争が激しいテーマで、成し遂げられる保証はありませんでした。
「どうせ一生をかけるなら、リスクが高くても自分がやりたいことをすべきだ」――そう考え、最終的に後者をテーマに据えました。

 

免疫チェックポイント分子「PD-1」の発見

決意を固めた本庶氏は、難解なテーマの研究で成果を上げます。免疫抗体の多様性を研究し続ける中で、免疫活動のブレーキ役をする分子「PD-1」を発見するのです。PD-1は、免疫細胞がアポトーシス(細胞の自然死)を起こす分子を探していたところ、偶然見つかったものでした。
そこから8年かけて、ブレーキの役割を果たすことを突き止めます。「誰も目を向けなかった分野で研究のヒントを見つけ、価値を確立していく」――そこに魅力を感じているからこそ成し遂げられたものでした。

がん研究へ舵を切ったのは、PD-1をがん治療に応用できないかと考え始めたことがきっかけでした。しかし免疫療法の効果を確信できていなかった当時は、「免疫でがんが治る」と考える専門家はおらず、大手製薬会社も開発に消極的でした。本庶氏と共同研究を行ってきた小野薬品は臨床研究や販売のパートナーを探すも、話を持ちかけた国内のメーカー全13社から断られてしまいます。アリソン氏も同様に大手の協力を得られず、製薬化には苦労したそうです。

それでも本庶氏が実用化に取り組み続けられたのは、彼がそもそもがん専門ではなく、先入観を持たずにいられたからと言えるでしょう。本庶氏は自ら協力企業を探すなど、実用化に向けて精力的に活動。こうした努力が実り、小野薬品は米国のバイオベンチャーの協力を取り付け、2006年に治験を開始。2014年には米製薬大手のブリストル・マイヤーズスクイブの協力を得て、オプジーボの発売にこぎつけたのです。

小野薬品は元々研究開発志向の高い会社であり、2016年時点の売上高に対する研究開発比率は国内製薬メーカーの中でもトップクラスを誇ります。特に今回のがん治療薬は初めて参入する分野で、「必ず成果を出す」と研究者の意欲が高かったそうです。
こうした企業との連携がなくては、早期の製品化は実現できませんでした。たとえ困難な状況でも支援を続ける、それだけの可能性が感じられたのでしょう。

 

120年の歴史があるがん免疫療法

今回の受賞によって広く知られることになりましたが、免疫によるがん治療自体は1890年代に始まりました。外科医のウィリアム・コーリー氏ががん患者に細菌を投与し、免疫反応を活発にすることでがんを小さくする方法を発見したことがきっかけです。1950~1970年代には薬やワクチンが開発され、1980年代には免疫の働きを刺激する物質「サイトカイン」による治療や、がんの増殖を抑える抗体医薬品も開発されています。「免疫チェックポイント阻害薬」に注目が集まるようになったのは、臨床試験が始まった2000年代に入ってからでした。免疫チェックポイント阻害薬は進行がん症例にも治療効果が確認でき、腫瘍縮小・延命効果が長期に持続すること、副作用の頻度が低いことなどが特徴です。
本庶氏が開発したPD-1の働きを抑える薬「オプジーボ」も、免疫チェックポイント阻害薬。末期のがん患者でも進行をほぼ抑え、生存できるケースがあることで、世界中に衝撃を与えることなりました。

本庶氏の快挙によって、多くのがん患者が希望を抱いた一方で、医療現場では混乱も起こっています。患者が「オプジーボを使いたい」と依頼したり、あらゆるがん免疫療法が有効だと勘違いしたりするケースがあるようです。患者が悪質な広告によって被害を受けることのないよう、医療界からの働きかけが重要になっています。
また、オプジーボのようながん治療薬は国内で6つ承認されていますが、課題にも目を向けなければなりません。医療者、がん患者双方が安心してこの種の薬を使用するためには、副作用への対応、がんの種類・患者による効果の違いの究明が求められています。

(文・エピロギ編集部)

<参考>
毎日新聞「免疫療法競い合う 本庶さんとアリソンさん」
東洋経済ONLINE「ノーベル賞の大発見は『偶然の産物』だった 『偶然を見逃さないことも科学研究では大切』」
東洋経済ONLINE「医師も患者も、バイアスだらけで動いている 医療現場の『行動経済学』とは?」
朝日新聞「【アーカイブ】(キセキを語る)本庶佑さん:下 反主流派でこそ、大きな成果」
朝日新聞「(インタビュー)世紀の新薬、未来へ 京都大学名誉教授・本庶佑さん」
朝日新聞「本庶さん、がん治療『第4の道』導く 衝撃の新薬に結実」
AERAdot.「祝ノーベル医学生理学受賞!本庶佑『研究では偶然を見逃さないことが大切』」
文春オンライン「ノーベル賞受賞・本庶佑教授が語った オプジーボと従来の抗がん剤の『決定的違い』」
日本経済新聞「15年間諦めなかった小野薬品 がん消滅、新免疫薬」
産経新聞「オプジーボ開発の小野薬品『巡り合わせに感謝』『ともに歩んだ二十数年間』 本庶佑氏ノーベル賞」
livedoorNEWS「ノーベル賞で脚光浴びた『小野薬品』膨大な費用に一度は開発断念も」
日経サイエンス「2018年ノーベル生理学・医学賞:がんを攻撃をする免疫のブレーキを外す新たな治療法を発見した本庶佑氏らに」
日刊ゲンダイDIGITAL「がん研究は門外漢 本庶佑氏は“素人の突破力”でノーベル賞」
オノオンコロジー「4がん免疫療法のあゆみ」
クローズアップ現代「ノーベル賞 偉業を生んだ“本庶哲学”」
JT生命誌研究館「免疫のしくみに魅せられて -何ごとにも主体的に挑む」
natureダイジェスト「握り飯より柿の種、早石修先生の志を継いで」
京都大学大学院医学研究科 免疫ゲノム医学「最終講義『ゲノムの壁-混沌・仮説・挑戦-』」

 

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