【第4回】教育は、感染する(私の失敗)
浜田 久之 氏(内科医/長崎大学病院 医療教育開発センター センター長・教授)
卒後10年~20年も経つと、臨床経験も豊富になり、中堅どころとして現場の第一線で活躍されている先生も多くいらっしゃることと思います。一方で、若手医師の教育を任され、不安や迷いの中、試行錯誤されている方も少なくないのではないでしょうか。
初期研修が義務化されて10年。この4月には新専門医制度も開始されました。地域の医療を守り、病院が生き残るために、「若手医師を育てられる」ことが重要視される昨今、若手医師への適切な指導やキャリア育成のできる「教育力」を持つ医師のニーズが高まっています。
本シリーズでは、医学博士・教育学博士であり、内科医として毎日現場で若手医師の指導に力を注ぐ浜田久之氏(長崎大学病院 医療教育開発センター長)に、明日から実践できる若手医師の教育ノウハウ=「Teaching Skill」を12回連載で解説していただきます。
第4回は、教育の影響力と「怒る」ことの弊害について学びましょう。
- 目次
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- 1.怒られた記憶は長く残る
- 2.教育は感染する
- 3.教えても感謝されない理由
- 4.私の失敗
- 5.「怒る」と「叱る」の境目は曖昧
- 6.怒ると損をするのは、自分
怒られた記憶は長く残る
「バカタレ、お前、患者を殺す気か!」
「なんでそんなことも知らないんだ!」
「死ね! ここから飛び降りろ!」
私が研修医の時に、指導医から頂いた言葉です(笑)。
この時、私がどういう気持ちだったかは忘れましたが、誰からどこで言われたかは、はっきり記憶しています。20年以上も前のことですが、怒られたことはよく覚えているものなのです。その頃は、パワハラなどという高尚な言葉は生まれておらず、こんな暴言は病院だけでなく、どこの職場でも日常的に飛び交っていました。
戦後の高度経済成長期のモーレツ社員は鬼上司としてバブル期を引っ張り、平社員は「24時間戦えますか」のCMを観ながら栄養ドリンクを飲み、汗水流して働いていました。医療業界も似たようなものでしたね。もちろん優しい指導医もたくさんいましたが、鬼軍曹のような指導医の存在も珍しくはありませんでした。時々、同期と昔話をしますが、
「○○先生に、無茶苦茶怒られたね」
「お前、よく蹴り入れられたなあ~、ハハハー」
と、怒られたことを話して盛り上がります。褒められた記憶はあまりありませんが、怒られた記憶は、案外長く残るものなのでしょう。
教育は感染する
怒られて育った人は、怒って人を育てます。
虐待された子どもが大人になって親となり、子どもを虐待するということを聞いたことがありますが、それに似たようなことかもしれません。教育は感染するのです。自分が受けた教育を否定することは、なかなかできないのです。
実際、私もそうでした。
厳しい親や先生にビンタされるのが当たり前の小中学校時代、さらに縦社会の厳しい部活を小中高とやり続けました。そのような教育を受けたことを、まったく後悔しておらず、むしろよかったと思っているくらいです。自分の受けた教育を否定することは、自分自身を否定するようなものなのでしょう。だからというわけではありませんが、30代の私は絵に描いたような典型的な鬼軍曹指導医となりました。
朝7時からの研修医との回診、カンファランスでは研修医のプレゼンに厳しく突っ込み、病棟ではIVHなど手技の時に準備ができていなければ激怒していました。冒頭のような暴言を吐いていたかもしれません。その頃の指導を受けていた研修医たちは、すでに今一人前になり各分野で活躍しています。
「厳しく指導されてよかったです。今があるのは先生のおかげです」
「先生がおっしゃっていたことが、今になりわかりました」
「先生に教わった通りの患者説明の仕方を今も守っています」
などと言ってくれるかつての教え子はいますが、ごくごくわずか。数えるほどです。それに、彼らは本心でそう思っているわけではなく、社交辞令として言ってくれるのかもしれません。
教えても感謝されない理由
ある女性医師から、唐突にこう言われたことがあります。
「私、研修医の時に先生に理不尽に怒られました。結構私、根に持つ方で今でも覚えてます」
「ああ……」
彼女のニコリと笑った顔は、私の心拍数と血圧を上昇させるには十分でした。2時間ドラマの終盤で、片平なぎさに崖の上で追い詰められた心境でした。私は、冷や汗が流れ、胸が苦しくなりました。その女性医師は、10年以上前のことを昨日のことのように話します。
「やばい、ここで俺は、心筋梗塞(AMI)で死ぬんじゃないか……」
私は、本当に息苦しく感じました。そういえば、研修医教育関連の仕事をする某先生と某某先生は、AMIになって倒れたらしい……。そんなことを考えながら、思いました。
一生懸命教えたのに、感謝されないなんて、俺の人生って何だったの????
それまでの私の医者人生、「研修医のために」と思い、一人前の医者になれるようにしっかりと手を抜かず教えてきました。それだけではなく県内外を奔走して、良質な研修プログラムを作ったり、宿舎を作る予算を取ったり、待遇改善のために病院上層部と戦ったりもしました。研修医のために自分の時間の大半を使ったのですが、当の研修医からはほとんど感謝されてないどころか、逆に恨まれていたのかもしれません。
なぜ、こんなことが起きてしまったのか?
それは、ひとえに、私自身が「怒り」をコントロールできなかったからでしょう。
私がニコニコした指導医で同じことをしていたら、今頃は、伝説の指導医として銅像が立てられていたかもしれません(笑)。結局のところ、教えても感謝されないのは、自分自身の徳のなさゆえなのでしょうね。また、教えて感謝されたいと望んでいること自体、器が小さい証拠なのでしょう。
私の失敗
ここで、数年前のエピソードを紹介します(以下は脚色を加えています)。
地域の診療所での外来研修のために、私と研修医Aは、大学病院からタクシーで郊外のB病院へ向かいました。研修医Aの服装は、素足にクロックス、ダメージジーンズというもので、私の怒りは、タクシーの中ですでに爆発寸前でした。
「おまえ、その格好カッコイイと思っているかもしれないが、患者さんに不快感を与えるぞ」
「え~、そうですか? ◯◯科の◯◯先生も同じような感じですよ」
「今日は外の病院で外来をするんだぞ! ちゃんとした格好をして来いとオリエンテーションで説明しただろうが! いい加減にしろ!」
B病院に着いて、さらに私の怒りは助長されました。A研修医は聴診器を忘れていましたし、外来診療に関する予習もまったくしておらず、基本的な問診も診察もできませんでした。おまけに、B病院の外来看護師から
「ちょっと、この研修医、どうなんですかね?」
と言われる始末です。私は何度か叱りました。
「怒る」と「叱る」の境目は曖昧
巷では、「怒る」と「叱る」は異なるといわれます。「怒る」は自分の感情を発散させることで、「叱る」は成長を願い注意すること。でも、この境目は曖昧です。こちらは「叱った」つもりでも、相手が「怒った」と思えば意味がないのです。
帰りのタクシーの中、研修医Aはさめざめと泣いていました。私もうなだれるAを見て、叱ったつもりが、怒ったと取られたことに反省し、怒り過ぎたと謝罪しました。そして、大学へ戻り研修医Aと私は、どのような点が悪かったのかということを冷静に話し合いました。さらには、Aの技量のなさに対して、別の日に個別特訓を設けてやりました。問診の仕方をマンツーマンで講義し、シミュレーターを使用して診察の仕方を特訓しました。5~6時間は費やしたでしょう。
これで一件落着したかと思いましたが、そうはいきませんでした。研修医Aは、私から怒られたといろんな人にメールや口頭で伝えたようでした。回りまわって、私にもそのメールが来ました。その内容は事実ではありましたが、私としては研修医Aの成長を願い「叱った」つもりでした。しかしながら、完全にアウトです。訴えられたら負けたでしょう。
「これがパワハラ認定されて負けても仕方ない。それならば、俺は辞めるしかないなあ~」
それから色々ありましたが、結局のところ研修医Aの関心は別の事項に移り、この件は何となく終息しました。それからもA研修医とはローテイションの変更や進路のことで関わりましたが、徐々に成長し周囲からの評価も高まり、ちゃんとお礼を言って研修を修了し、県外へ旅立ちました。
結果的にはハッピーエンドではありましたが、私の気持ちとしてはモヤモヤ感が今でも残っています。
この出来事以降、私は「感謝されるために、教える」という考え方を改めようと思いました。医師になる以前、塾の経営者として20代前半より学習塾の教壇に立ち、以来、相手は子どもから医師に変わりましたが30年以上「教える」ことに携わってきたのも、感謝されたい、ありがとうと言われたい、という密かな思いがあったのだと思います。でも、今では「自分は、多分教えることが好きなんだ、好きだからやっている」と考えるように努力しています。
怒ると損をするのは、自分
私の反省から、皆さんにお伝えしたいのは、「怒っても叱っても教育的な効果はなく、逆に非常に非効率」ということです。学術的にも、いくつかの心理学的な実験などで証明されています。怒ってしまうと、人を傷つけてしまい、自分も罪悪感に悩まされて、後々大変な時間と労力が必要になります。つまり、怒ると損をします。
現在は厚生労働省がパワハラ対策セミナーを展開するなど、国もパワハラ対策を本気でやっています。また、パワハラは疾患に結びつくことも指摘されています。
「患者さんの命を救う」という目的のために、ブラックな働き方やパワハラが黙認されていた我々の業界は、今変わりつつあると思います。冗談で、研修医に「ようこそ、ブラック&パワハラ業界へ!」とおっしゃる先生がいらっしゃいますが、冗談でも言えないご時世になってきています。時代の変化ですね。
卒後10~20年の先生方の医師人生は、まだまだ続きます。業界の変化と共に、生きていかねばなりません。変わらなければならないのは、私自身であり、先生方自身であるのでしょう。人を教えるということは、私が、あなた自身が成長し変化する機会を与えられたということでしょう。
次回は、自分の怒りをどうコントロールするか、アンガーマネージメントについて、お話ししたいと思います。
<参考>
パワハラ対策支援セミナー2017
https://no-pawahara.mhlw.go.jp/events
厚生労働省 働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト「パワハラ」とは
https://kokoro.mhlw.go.jp/power-harassment/
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- 浜田 久之(はまだ・ひさゆき)
- 大分医科大卒。内科医、消化器内科専門医、プライマリケア学会指導医。
博士(医学)、博士(教育)。認定医学教育専門家。
予備校講師・学習塾経営を経て、長崎の内科医局に入り地域の中小病院で働く。卒後5年目頃より研修医指導をしながら、野戦病院にて総合診療病棟等の立ち上げ等に関わるが、疲弊し辞表を提出したことも。
10年目、逃げるようにトロント大学へ。帰国後開業するつもりだったが、カナダの医学教育に衝撃を受ける。帰国後、社会人大学院生として名古屋大学大学院教育発達科学研究科で学びながら、カナダで修得した成人教育理論を基礎としたTeaching技法を伝える指導医講習会を主催。現在1000名以上が受講している。
「教うるは学ぶの半ばなり」。日々挫折や葛藤の中で学び続けている。
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