【第6回】シッコ~アメリカの医療制度を徹底的に批判した問題作
石原 藤樹 氏(北品川藤クリニック 院長)
医療という題材は、今や映画を語るうえで欠かせないひとつのカテゴリー(ジャンル)として浸透しています。医療従事者でも納得できる設定や描写をもつ素晴らしい作品がある一方、「こんなのあり得ない」と感じてしまうような詰めの甘い作品があるのもまた事実。
シリーズ「Dr.石原藤樹の『映画に医見!』」は、医師が医師のために作品の魅力を紹介し、作品にツッコミを入れる連載企画。執筆いただくのは、自身のブログで100本を超える映画レビューを書いてきた、北品川藤クリニック院長の石原藤樹氏です。
第5回の『白い巨塔』に続き、今回は『シッコ』をご紹介いただきます。
現役医師だからこそ書ける、愛あるツッコミの数々をお楽しみください(皆さまからのツッコミも、「コメント欄」でお待ちしております!)。
映画『シッコ』の概要
今日ご紹介するのは、2007年公開のアメリカ映画『シッコ』です。「シッコ (sicko)」とは、「狂人」や「変質者」などを意味する俗語で、「病気の」「病気にかかった」という意味の単語「シック(sick)」が掛かっています。挑発的で政治的なドキュメンタリー作品で有名なマイケル・ムーア監督が、アメリカの医療制度を取り上げて、それを痛烈に批判した内容が話題となりました。オープニングから、医療保険に加入していない男性が、自分で自分の手の傷を縫う場面が登場して衝撃的です。その後も次々と登場する、アメリカの医療制度の不備による実際の悲劇的体験談の数々が、真実ならではの凄みと悲しさ、そして巧まざるユーモアを持って迫って来ます。
そこから物語はアメリカの医療制度の成り立ちを映し出し、それと比較する形でカナダやイギリス、フランスの制度を俯瞰。最後は医療制度の狭間で苦しむ人々を募ってボートで旅に出て、キューバでユートピアを見つけるという皮肉なドラマが待っています。
ムーア監督のこれまでのドキュメンタリー作品の中でも、物語の運びの巧みさと、メッセージの分かりやすさが際立つ本作。2時間を超える上映時間を、一気に見せ切る卓越した編集技巧から、監督の代表作の1つと言って間違いのない作品です。
見どころは事実の持つ重みと虚構すれすれの際どさ
ムーア監督のドキュメンタリーの面白さは、本人が体当たりで色々な人の意見を聞き、最初はテーマに対して無知であったのが、次第に問題の本質に気付き、成長し、そして行動するという一種の成長物語としての側面を持っている点にあります。そのため、無知な観客に真実を教えてやる、とばかりに上から目線のドキュメンタリーと比べて、観客が素直にその世界に入り込みやすいのです。
『シッコ』でも、フランスに行ったムーア監督が、最初は自分がアメリカ人だというプライドから、フランスの医療制度が優れていることを認めたくないという子供じみた態度を取ります。しかし次第に否定できない事実の前に、「すげえな、フランスって」と素直に態度を変化させていくのです。こうした自然な態度の変化は、とても説得力があります。観客がアメリカ人であれば、その説得力はより大きなものになるのだと思います。
その一方で、ムーア監督の描く世界は、ドキュメンタリーとは言いながらも、政治的には特定の立場に立ちすぎているようにも思います。この映画でもヒラリー・クリントンを聖女のように持ち上げている一方で、大嫌いな共和党やブッシュ大統領のことは、けちょんけちょんにけなしています。また、アメリカの医療制度を最悪と言い募っている一方で、フランスやイギリスの医療制度についてその欠点を全く指摘していないのは、公正さを欠いているように思います。語り口に説得力があるので、その全てを真実と思ってしまうのは危険でしょう。
世界の医療制度と日本
この映画では、私的な保険が中心になっているアメリカの医療制度が、保険未加入者の存在と、医療保険の審査によって受けられる医療が制限されるという問題から、悪しき制度とされています。その一方で国民皆保険のフランスや、基本的に国が医療を運営していて一定の範囲内では自己負担のないイギリスを、理想的な医療の姿として賞賛しています。
アメリカはその後オバマ大統領の時に、いわゆるオバマケアが導入され、医療保険の未加入者が大幅に減少しました。しかしオバマケアは公的な保険制度や国民皆保険ではなく、私的な保険の加入のハードルが下がった、という意味合いのものです。
ただ、イギリスやフランスでも、かかりつけ医を通さなければ医療機関を受診することはできず、医療の質もその時の国の財政状態により大きな影響を受けるという問題があります。フランスでは公的にカバーされない医療は自費になりますし、医療資源はかなり制限されています。それをこの映画では、医療が全て無料の楽園のように描いていて、かなり問題があるように感じます。これは今年(2018年)、患者さんから実際に聞いた話ですが、フランスへ旅行中に腹痛で病院を受診して検査を受けたその方は、30万円以上の医療費を請求されたと言います。
日本は国民皆保険のフリーアクセスで、医療資源が豊富である点から、検査や治療が迅速に受けられるという利点があります。一方で、高齢化もあって医療費は増加の一途をたどり、制度の維持が困難となっているのは、皆さんご存じの通りです。また、国民皆保険ではありますが、職を失って国民健康保険に自分で加入しないと無保険になってしまい、それをカバーする制度がない、という点では、イギリスやカナダのような公的な医療制度とは異なっています。さらに、医療費はヨーロッパの公的医療のように無償ではなく、政治や行政の判断によって、自己負担が頻繁に変わるという不安定さがあります。自己負担率3割というのは、受ける医療によってはかなりの高額になります。その無意味な複雑さは、患者と医療機関の双方を混乱させているように感じます。
このように、日本の医療制度は、この映画で描かれたアメリカとヨーロッパなどの医療制度の、ちょうど中間くらいに位置しているような性質のものです。国の財政により大きな影響を受けるというヨーロッパ的な問題もあり、無保険や医療費の自己負担の高さのために、必要な医療を控えるようなアメリカ的問題もあります。そして、一番深刻なのは、今の制度の維持が、早晩不可能となることが確実であることです。
医療に関わる人が今、絶対に見るべき映画
この映画はマイケル・ムーア監督が、2007年当時のアメリカの理不尽な医療制度と、その中で犠牲となった人々の姿を描いた作品です。それを10年以上経った今の日本で観ることは、今瀕死の状態にあるこの国の医療制度の、未来を見ることでもあります。
私達医師は自分の子供達世代のために、どのような医療保険制度を今後に求めるべきなのでしょうか? この映画を観て、そのことを考え、自分なりの答えを出すことは、今医療に関わっている全員がなすべきことであるように思います。
皆さんの答えを是非教えてください。
※映画『シッコ』の公式サイトはこちら。
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- 石原 藤樹(いしはら・ふじき)
- 1963年東京都渋谷区生まれ。信州大学医学部医学科大学院卒業。医学博士。信州大学医学部老年内科助手を経て、心療内科、小児科を研修後、1998年より六号通り診療所所長。2015年より北品川藤クリニック院長。診療の傍ら、医療系ブログ「北品川藤クリニック院長のブログ」をほぼ毎日更新。医療相談にも幅広く対応している。大学時代は映画と演劇漬け。
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