ホスピス・緩和ケアの歴史

【前編】ホスピス・緩和ケアの誕生とその世界的な普及を担った医師たち

ホスピス・緩和ケアとは、生命を脅かす病気に直面している患者に対して、QOLの向上を目的に全人的アプローチを用いてケアを行うこと。日本でも1996年に緩和医療学会が設立されるなど、医療現場におけるホスピス・緩和ケアの普及が進んできました。1990年には全国で5施設しかなかった緩和ケア病棟も、2017年には394施設にまで増加しています(「日本ホスピス緩和ケア協会」調べ)。これまで「緩和ケア研修会」を修了した医師は平成29年9月末時点で10万人を超えており、その数は全医師の約1/3にあたります(日本緩和医療学会「PEACE PROJECT」より)

臨床現場における普及が進む一方で、ホスピス・緩和ケアの歴史については詳しく知らないという方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そこで、「ホスピス・緩和ケアの歴史」を前編・後編の2回に分けてご紹介します。前編では、ホスピス・緩和ケアの起源や、近代ホスピスの原点と発展、その後の世界的な広まりについてお伝えします。

 

ホスピス・緩和ケアの起源

ホスピスは、ラテン語で「客を厚くもてなすこと」を意味する「ホスピティウム(hospitium)」に由来します。ホスピティウムは、同じくラテン語の「ホスペス(hospes,主・客人の両方の意)」が語源です。病院(hospital)やホテル(hotel)、おもてなし(hospitality)といった英語もラテン語のホスピティウムに由来するといわれています。

ホスピスの起源を明確に示す歴史的資料は残っていません。しかし、アルプス山脈のグラン・サン・ベルナール峠には1000年以上も昔に建てられた救護所が現存しており、中世ヨーロッパにはすでにホスピスのような施設が存在していたと考えられています。

グラン・サン・ベルナール峠は、救助犬「バーナード犬」のゆかりの地としても知られる峠です。フランス語読みの「サン・ベルナール」を英語で「セント・バーナード」と読むことが名前の由来といわれています。救護所はローマへの巡礼者や遭難者のための施設として、司祭ベルナール・ド・マントンにより設立されました。巡礼者や遭難者はここで宿と食事の提供を受けていたといいます。

 

死にゆく患者のための治療~近代におけるホスピス・緩和ケア

近代ホスピスの祖 メアリー・エイケンヘッド
もともとは巡礼者や病人を休める場であったホスピス。“死にゆく患者のための適切な医療ケアを行う施設”としての原点を作ったのは、アイルランドのメアリー・エイケンヘッド(1787~1858年)だといわれています。メアリーが生まれたのは、イギリスがアイルランドへの支配を強めていた時代。イギリスはプロテスタント教徒が多数、アイルランドはカトリック教徒が多数と両者は宗教的に対立していました。イギリス側はカトリック教徒に対して公職に就くことを禁止するなど厳しい弾圧を加え、多くのアイルランド人は貧困と病にあえいでいました。

プロテスタントの支配階級の家庭に生まれたメアリー。生まれこそ裕福でしたが、幼少時代をカトリック系の里親のもとで過ごしたため、上流階級の暮らしと周囲の人々の貧しい生活にギャップを感じながら育ちます。1802年、メアリーが15歳のとき、父がカトリックに改宗したことを受けて自身も改宗します。幼い頃から貧困と病に苦しむカトリックの人々の存在を気にかけていた彼女は、やがてカトリックの修道女となり、貧しい人々に食糧を与えたり看取りを行ったりし始めました。

修道女として経験を積むうちに「宗派に関係なく平等に医療を受けられるようにしたい」という思いを強めた彼女は、1835年にアイルランドの首都・ダブリンに貧しい人々のためのホスピス施設を設立します。彼女はその約20年後に亡くなりますが、1905年、ともに働いていた修道女たちがイギリス・ロンドンに聖ジョゼフ・ホスピスを設立します。ここには、のちに“近代ホスピスの母”と呼ばれるシシリー・ソンダースが勤めることになります。

近代ホスピスの普及を牽引した女医 シシリー・ソンダース
ホスピスを世界的に普及させたのが、イギリスの女医、シシリー・ソンダース(1918~2005年)です。死にゆく患者が医師に見捨てられ、適切なケアを受けていない現状に疑問を抱き、1967年に自ら聖クリストファー・ホスピスを立ち上げます。彼女は末期患者の疼痛コントロールの方法を実践的に示して薬理学の発展に貢献しただけでなく、世界各地から研修生をホスピスに受け入れ、アメリカに研修センターを設立するなど、教育・普及活動にも尽力しました。

“死”を新たな観点で捉え直した女医 エリザベス・キュブラー=ロス
シシリーと同時代にもう1人、死にゆく患者に向き合った女性がいます。彼女の名はエリザベス・キュブラー=ロス(1926~2004年)。スイス生まれの精神科医で、終末期医療(ターミナルケア)研究の先駆者として知られています。治癒の見込みがない末期患者を見放す当時の医療者の態度に疑問を感じていた彼女は、200人以上の末期患者にインタビューを実施。それをもとに「死の受容の5段階モデル(※)」をまとめ、1969年に著書『死ぬ瞬間』の中で発表し、末期患者への適切な心のケアの重要性を訴えました。“死”を科学的な視点から捉え直す取り組みは画期的なものであり、当時の多くの人に衝撃を与えました。

※死の受容の5段階モデル……エリザベス・キュブラー=ロスが提唱した、死を目前にした人間は「否認と孤立」「怒り」「取り引き」「抑鬱」「受容」の5つのプロセスを経験するという考え。この5段階モデルには賛否両論があったが、多くの人がそれまで踏み込まなかった「死の間際」に着目し、“死”を見つめ直すきっかけを作ったとして評価されている。

 

QOL向上のための全人的ケア~現代におけるホスピス・緩和ケア

ホスピスはシシリー・ソンダースの活動を起点に世界へ広がっていきました。今ではイギリスやカナダ、アメリカなどの欧米諸国だけでなく、日本、シンガポール、マレーシア、韓国、中国などのアジア諸国にもホスピスが設立されています。

1975年には、シシリー・ソンダースのもとで学んだ弟子の1人、バルフォア・マウント医師がカナダ・モントリオール市のロイヤル・ビクトリア病院に世界初の「緩和ケア病棟」を設立します。ホスピスには、院外独立型(例:聖クリストファー・ホスピス)、院内病棟型、チーム型、在宅型などさまざまな形態がありますが、院内病棟型を初めて設立したのが彼でした。

また、彼は「緩和ケア」という言葉の考案者でもあります。フランス語圏のモントリオールでは「ホスピス」という単語はネガティブな響きを持つため、「palliate(緩和する)」のラテン語「pallium(体を覆い隠せるほどのマント)」を変化させ、「Palliative Care(緩和ケア)」という言葉を用いました。彼はその功績から“北米の緩和ケアの父”とも呼ばれ、現在でも医療者として緩和ケアの発展に尽力しています。

「死にゆく患者へのケア」を表す言葉は時代とともに異なる言い方で表現されています。東北大学大学院医学系研究科保健学専攻 緩和ケア看護学分野教授の宮下光令氏は、それらを以下のように整理しています。

 

ホスピス・緩和ケアの歴史_図1

 

1990年には、WHOが『がんの痛みからの解放とパリアティブ・ケア』(『Cancer Pain Relief and Palliative Care』)を刊行し、緩和ケアの必要性を強調しました。当時、緩和ケアは「治療による効果が望めなくなった患者とその家族に対する全人的ケア」と定義されていましたが、2002年には「終末期だけでなく、より早い段階から痛みの緩和コントロールを行うべき」といった内容に変更され、終末期に限らず早期から行われるべきであるということが明示されました。さらに、チームアプローチを用いること、必要に応じて患者家族の死別ケアにも取り組むことなど、より具体的なケアの内容が追記されています。その後、WHOの定義が各国で翻訳され、緩和ケアという言葉やその意義が世界中に普及していきました。

後編では、日本でホスピス・緩和ケアがどのように受容され、発展したかについてご紹介します。

(文・エピロギ編集部)

<参考>
・柏木哲夫『定本 ホスピス・緩和ケア』(青海社、2007)
・シャーリー・ドゥブレイ、マリアン・ランキン著 若林一美 監訳『近代ホスピス運動の創始者 シシリー・ソンダース 増補新装版』(日本看護協会出版会、2016)
・日本ホスピス・在宅ケア研究会 編『ホスピス入門―その"全人的医療"の歴史、理念、実践』(行路社、2000)
・宮下光令『ナーシング・グラフィカ成人看護学⑥』緩和ケア(メディカ出版、2016)
医学書院「患者の今に向き合う医療者に 緩和ケアの始点から バルフォアM.マウント氏に聞く」
笹川記念保健協力財団 ホスピスケアQ&A
日本ホスピス緩和ケア協会
日本財団 図書館「世界のホスピス運動の現況とアジア・太平洋地域における活動の展開」(2002)
宮坂いち子「近代ホスピス誕生の原点―メアリー・エイケンヘッドの確信と活動―」(2010)
宮坂万喜弘「アイルランドの光と影―現代終末期医療の源泉―メアリー・エイケンヘッド」(2009)
コトバンク「ホスピタリティ」
コトバンク「ベルナルドゥス」
グリーフ・サバイバー「キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』を読む」
KAIGO LAB「キューブラー・ロスによる5段階モデル(死の受容モデル)と、それへの代表的な批判について」
Our-haiking.com「イタリア・アルプス 展望ハイキング」

 

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