時代を越える金言 ~医師や医学者の名言集~
目の前の患者を救うことだけを考え、懸命に治療に当たった人。周囲から非難を浴びながらも、自らの正しさを証明した人。彼らは常に、医療が発展した未来を思い描いていたのかもしれません。
そこで今回は、仕事や人生を豊かにしてくれる、医師や医学者たちの名言をご紹介します。先人たちが苦難の末につむぎ出した、言葉に出合ってみませんか?
迷ったら(アルフレッド・アドラー)
判断に迷ったらより多くの人間に貢献できる方を選べばいい。
自分よりも仲間たち、仲間たちよりも社会全体。
この判断基準で大きく間違うことはまずないだろう。
■アルフレッド・アドラー(1870年2月7日-1937年5月28日) オーストリア出身の精神科医・心理学者・社会理論家。
フロイトの共同研究者で、パーソナリティ理論や心理療法を確立した人物として知られる。41歳でフロイトのグループから離れ、「個人心理学(アドラー心理学)」を創始。
第一次世界大戦における軍医の経験は、彼の「人類はみな仲間である」という思想に大きな影響を与えた。
毒か否か(パラケルスス)
全てのものは毒であり、毒でないものはない。
投与量のみが毒か否かを決定する。
■パラケルスス(1493年頃-1541年9月24日) スイス出身の医師・科学者・錬金術士・神秘思想家。
「ホムンクルスの生成」「悪魔使い」など、多くの伝承を持つ人物。医薬品に水銀などの金属化合物を用いたことから、医科学の祖とも呼ばれる。
パラケルススは「いかなる病気にも特定の治療法が存在する」という、近代的な医師としての思想を持っていたとされている。
尊敬しなければ(前田玄造)
相手を尊敬しなければ、相手の持っているものが、自分の体の中に入って来ない。
■前田玄造(1831年-1906年) 幕末~明治時代の医師・写真家。
福岡藩から長崎海軍絵伝習所に派遣され、医学を学ぶ。このとき、スイス人のプロ写真家であるピエール・ロシエから写真術も習得。
前田はロシエから直接学び、指導を受けた者のなかで最も早く湿板写真の技術を習得したとされている。
何の益かあらん(緒方洪庵)
病者の費用少なからんことを思うべし。
命を与うとも、その命を繋ぐの資を奪わば、また何の益かあらん。
(患者が負担する費用は少ないほうがいい。
たとえ命を救ったとしても、その命をつなぐ資金を奪ってしまっては、何の意味もない。)
■緒方洪庵(1810年8月13日-1863年7月25日) 江戸時代の医師・武士・蘭学者。
「適々斎塾」で蘭学を教え、福沢諭吉らを輩出。江戸幕府奥医師と西洋学問所頭取を兼務したことで知られる。日本近代医学の祖としても有名。
ドイツ人医学者のフーフェランドが著した「Enchiridion Medicum」のオランダ訳書を約20年かけて完訳し、それを12カ条に要約した「扶氏医戒之略」のひとつが、この名言。
繰り返し練習すれば(サミュエル・スマイルズ)
どんなに簡単な技術でも練習をせずに習得することは出来ない。
逆にどんなに難しいものでも、繰り返し練習すれば誰でも身につけることが可能なのである。
■サミュエル・スマイルズ(1812年12月23日-1904年4月16日) イギリスの医者・作家。
日本では『自助論』として知られる『Self-Help』(邦訳『両国立志篇』)の著者。『自助論』は福沢諭吉の『学問のすゝめ』とともに近代日本の基礎づくりに影響を与えた書籍とされており、その序文における「天は自ら助くる者を助く」は非常に有名。
スマイルズが『自助論』で説いた徳目(着実な努力、たゆまぬ勤勉、忍耐など)は、それ以降の時代を生きた多くの人々に影響を与えた。
気付かなくてはならない(アルベルト・シュバイツァー)
物事に関心がなくなり、真面目さや憧れ、情熱、熱意などを失いかけていることに少しでも気付いたら、これは病気の前触れだと考えなければならない。
表面的に流されている生活に魂が苦しんでいると気付かなくてはならない。
■アルベルト・シュバイツァー(1875年1月14日-1965年9月4日) ドイツ系の医師・神学者・哲学者・オルガニスト・音楽学者。
アフリカのガボン(ランバレネ)における医療活動に生涯を捧げた人物として知られる。1952年にノーベル平和賞を受賞。
30歳までに神学と哲学の博士号を取得し、そこから医師の資格を取得。バッハの研究を行うオルガニストでもあった。晩年もガボンでの活動に情熱を注ぎ、没後はこの地に埋葬された。
解答の出せない問題(ジークムント・フロイト)
30年に渡って女性心理を研究してきたにもかかわらず解答の出せない問題は「女性が何を求めているか」である。
■ジークムント・フロイト(1856年5月6日-1939年9月23日) オーストリアの精神科医・精神分析学者。
神経症研究、心的外傷(PTSD)論研究、自由連想法、無意識研究、精神分析を創始。精神医学の祖として知られる。
献身的にフロイトを支えた妻のマルタが婚約者だった頃、彼はたびたび「彼女から愛されていないのではないか」という疑念に苛まれていた。
どう役立てるか(北里柴三郎)
研究だけをやっていたのではダメだ。
それをどうやって世の中に役立てるかを考えよ。
■北里柴三郎(1853年1月19日-1931年6月13日) 日本の医学者・細菌学者。
現在の東京大学医科学研究所、北里大学北里研究所病院、学校法人北里研究所、慶応義塾大学医学部、日本医師会の創設者。日本の細菌学の父として広く知られる。
医師となり世の中に役立とうと考えたのは、北里が熊本医学校に入学した18歳のときだった。
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大村智・北里大特別栄誉教授のノーベル医学・生理学賞受賞と、梶田隆章・東京大宇宙線研究所長のノーベル物理学賞の受賞が話題になっています。
2人のうち、大村智さんは最後にご紹介した北里柴三郎が創設した北里研究所で微生物研究を進め、北里生命科学研究所特任教授・スペシャルコーディネーターも務めています。北里研究所に入るまでは定時制高校の教師として勤務するかたわら、昼は東京理科大の大学院生として研究を重ねた大村さん。受賞の記者会見では「人のためにやるということが大事」と、創設者から受け継いだ精神を語りました。
時代を越えて受け継がれる言葉たち。その言葉から、偉人と呼ばれる人々も日々迷いながら自身の信念を支えに治療や研究を行っていたことがわかります。彼らの残した偉業とともにその精神や言葉は引き継がれ、未来につながっているのではないでしょうか。医師として一人の人間として、迷った時に支えとなる言葉に出合うことも、自身の将来やキャリアを築く上で大切なことなのかもしれません。
(文・エピロギ編集部)
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