ノーベル賞で辿る医学の歴史

第1回 がんとの闘い~ラウス肉腫ウイルス発見から55年目の受賞

「その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるものとする。」
アルフレッド・バルンハート・ノーベルの遺言によって創設されたノーベル賞。その一分野である医学・生理学賞の受賞を振り返ると、人類と病の闘いの歴史であることがわかります。
いまでは当然と思われている医学の常識が成立するまでに、研究者たちは多くの困難を乗り越えてきました。その苦難の歴史、医学の発展の歴史を紹介します。
第一回は、日本の死因一位である「がん」との闘いの歴史を取り上げます。

1. 間違った研究にノーベル賞!? 40年の空白の謎

体外受精を成功させ、2013年にノーベル賞を受けたロバート・G・エドワーズ氏。彼は1978年の研究発表から32年後に受賞が決定しました。ノーベル生理学・医学賞は基礎研究が評価されるまでに長い時間を要し、20年、30年後に受賞することも珍しくありません。その歴史上には55年という異例の年を経て賞を受けた人物もいます。
その名はペイトン・ラウス。彼はアメリカの病理学者で、1911年に腫瘍ウイルス(がんウイルス)を発見し、その約半世紀後の1966年にノーベル生理学・医学賞を受けました。

実は、これほどまでに時間を要したのには理由があります。
1926年、ヨハネス・フィビゲルという病理学者ががん研究で初のノーベル賞を受賞しました。その研究は、がんの原因を寄生虫とする「寄生虫発がん説」というもの。しかし現在、がんの原因が寄生虫でないのは周知の事実。フィビゲルの説は残念ながら間違っていたのです。
フィビゲルの研究を誤りだと見破るのは、当時の技術では難しかったと考えられており、現在も賞は取り消されていません。けれども、ノーベル財団はこの誤りによほど懲りてがん研究に対する評価を厳しくしたのでしょうか。この件からしばらく、がん研究に対するノーベル賞授与はありませんでした。新しい技術を認め評価する難しさに、昔の人々もまた悩まされていたことがうかがえます。

それから40年経った1966年、がん研究において2番目にノーベル賞を受けたのがラウスです。腫瘍ウイルスを発見した功績が認められ、受賞が決まりました。
ラウスの受賞をきっかけに、がん研究で功績を挙げた人物が次々と評価されるようになります。1975年には腫瘍ウイルスと遺伝子との相互作用を発見したハーワード・マーティン・テミン、レナート・ドゥルベッコ、デビッド・ボルティモアの3名が賞を授与されました。また、1989年には腫瘍ウイルスから肉腫を発生させるがん遺伝子を発見したジョン・マイケル・ビショップとハロルド・ヴァーマスの両者が賞を受賞しています。
彼らの基礎研究をもとに、「がん」という病気の謎がじわじわと解明されてきました。

 

2. がんは感染症? その原因はどこにある?

ラウスが発見した腫瘍ウイルスとは、正常な細胞をがん化させるウイルスです。特殊ながん遺伝子を持ち、逆転写酵素を用いて宿主のDNAにがん遺伝子を組み込みます。これががん(腫瘍)の原因になります。

がんの存在は古代ギリシアの時代から確認されていましたが、その原因は長らく謎のままでした。禁欲や憂鬱が原因だとする人や、遺伝的な病気であると主張する人もいました。18世紀頃にはタバコやススなどが原因であると提唱されましたが、やはり確証は得られませんでした。
20世紀に入ると、西洋医学の世界では「感染症は特定の微生物(細菌)により引き起こされる」という説が一般的になりました。そこで研究者たちは、がんも細菌による感染症であると考えるようになります。当時この考えがあったからこそ、フィビゲルの寄生虫説は支持されたのです。

その一方で、ラウスはがんの原因を「細菌より小さな何か」だと考え、研究を経て見事に腫瘍ウイルスの存在を突き止めます。ラウスによる腫瘍ウイルスの発見は、その後のがん研究に大きく影響しました。当時、定説の細菌ではなく「細菌より小さな何か」だとするラウスの研究は冷笑されたといいます。それから55年。ノーベル賞受賞の連絡を受けた時、ラウスは87歳の高齢となっていました。定説を疑い、周りの目にも負けず自身の信念を貫抜くことは、多様性が認められつつある現代でも難しいこと。約100年も前であればなおのこと、その道のりは苦難の連続だったのではないでしょうか。

 

3. ラウスの研究は現代の医療にも

ラウスたちの研究は、現在のがん治療にも生かされています。
その代表が「分子標的薬」です。これはがん細胞が持つ特定の分子(細胞のタンパク質や遺伝子)のみを攻撃・破壊する働きがあります。これまでのがん治療薬は、がん細胞だけでなく正常な細胞も攻撃していました。そのため副作用が大きく、体への負担も相当なものでした。しかし分子標的薬の開発により、人体に有害ながん細胞だけを攻撃・破壊できるようになりました。
例えば、分子標的薬の一種「イマチニブ」は白血病の治療薬です。これは白血球を増殖させる異常タンパク質の働きを抑える効果があります。副作用には皮膚の発疹やむくみ、吐き気などがありますが、利尿薬や吐き気止めを併用することで比較的体の負担も少なく済みます。分子標的薬は副作用が少ないだけでなく、その治療効果も高めるとして期待されている治療法です。
このように腫瘍ウイルスの発見は、がん研究の進展に大きく貢献しました。

寄生虫発がん説が主流だった当時、一笑に付されたというラウスの説。しかしこの研究がなければ現在の医療はありません。ラウスのたゆまぬ努力があってこそ、分子標的薬のような副作用の少ないがん治療も可能となりました。 がんは未知の領域が多い分野ですが、未だ評価されない研究にも治療のカギが隠れているかもしれません。

(文・エピロギ編集部)

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