番外編[其ノ壹] 幻の明日を夢見た女医 野中婉
シリーズ「いばらの道を駆け抜けた女性医師たち」では、女性医師を取り巻いてきた問題や課題の変遷を、彼女たちの足跡をたどりながら見ていきます。
▼これまでの「いばらの道を駆け抜けた女性医師たち」
第1回 与えられなかった女医と、与えられた女医(楠本イネ・荻野吟子)
第2回 時代の常識に抗った女医(吉岡彌生)
第3回 志半ばで旅立った女医(右田アサ)
第4回 時の分け目に揺れた女医(丸茂むね)
第5回 異境の地に羽ばたいた女医(宇良田唯)
明治から昭和にかけての、激動の時代を生きた女性医師たち。本シリーズではこれまで、男尊女卑の慣習に悩まされながらも、強くたくましく生きた彼女たちを紹介してきました。
番外編となる今回は趣向を変え、江戸時代の女医「野中婉」をご紹介します。
江戸時代の医療に従事する女性の役割といえば、現代でいう看護師と産婆を兼ねたようなものでした。そもそも医師免許すらなかった時代なので、患者から「医師」と認められるには相応の腕が必要だったのです。
そんな時代に女性として生まれながら、現代まで「医師」として語り継がれている野中婉は、非常に珍しい存在だったといえます。
しかし彼女の人生は、羨望の対象には決してなり得ない、暗く悲劇的なものでした。
野中婉 40年間の幽閉生活を経て医業を始めた女性
父・野中兼山の失脚と追罰
父の野中兼山は土佐藩の家老で、偉大な改革者でした。山田堰や八田堰を築いて大規模な新田開発を行うなど、数々の公共事業を行った人物として知られています。しかしその気性は荒く、独裁的な一面も持ち合わせていたようで、彼に反発心を抱く者も多くいました。
そして1663年、ついに兼山は反対派の謀略により失脚。謀反の罪を着せられたまま、49歳の若さで急逝しました。自殺か毒殺か。その死については諸説あります。
このとき、お婉(野中婉の通称)はまだ3歳でした。家族は母と乳母、そして兄弟姉妹が7人。彼女たちは全員、罪人として扱われることになりました。それが武家社会の掟です。
領地没収。お家断絶。残された野中一族は追罰として、四国の西の果て、宿毛へ流されることになりました。こうして、お婉の長い長い幽閉生活が始まったのです。
40年にわたる幽閉生活
兼山がこの世を去った翌年、4歳で流刑に処されたお婉。彼女たちが暮らした屋敷は竹矢来に囲まれ、常に監視の目に晒された、まさに監獄のような場所でした。
一歩も外に出ることを許されず、結婚をすることも許されず、お婉たち兄弟姉妹は人生の最も輝かしい時期を暗闇のなかで過ごすことになったのです。
そんなお婉の心を支えたのが、儒学者である谷秦山との文通でした。獄中で子どもたちに唯一許されていた行いが学問。医学や本草学に明るかった秦山から、婉は医術を学んだようです。
学問の才があった彼女は手紙のやり取りだけで知識を吸収し、秦山が病にかかったときなどは、逆に丸薬を勧めたといいます。
また、野中一族を監視していた山内氏のお抱え医師、安田道玄もお婉に医学を教授した人物ではないかといわれています。
解放と医業の開始
1664年に4歳で幽閉されたお婉が外の世界に出られたのは1703年、43歳のときでした。40年ものあいだ、彼女は監視されながら、閉じ込められながら生きたのです。
お婉が獄舎で見たのは、死んでいく兄弟たちの姿でした。7人いた兄弟姉妹で残ったのは、姉が1人、妹が1人だけ。残された3姉妹は、もう子どもを産めない年齢になっていました。
彼女たちが赦免された理由は単純。その年に弟の貞四郎が亡くなり、男の兄弟がいなくなったからです。それはつまり、野中の子孫を残せる人間がいなくなり、野中の血を絶つことができたから。
最後の男子だった貞四郎はお婉たちの自由を願い、自ら命を絶ったともいわれています。生き残った姉と妹は宿毛に残ったそうです。
お婉は年老いた母と乳母を連れ、かつて父に仕えていた家臣を頼って朝倉村(現在の高知市朝倉)へ移りました。
お婉はその地に庵「安履亭」を建て、医業を始めます。朝倉の山野を歩きながら薬草を摘み、本草学の知識を深めていきました。
「兼山の娘」としての誇り
外の世界に出ることができたお婉でしたが、その生活は貧しいものでした。「乳母が家伝の手斧を勝手に売って米にした」という話が残っているほどです。
彼女たちに手を貸せば、どんなお咎めがあるか分からない。助けてくれる旧臣は少なかったようです。
そんな状況でも、お婉は「兼山の娘」としての誇りを持ち続けました。庵ではほとんど部屋に閉じこもり、人目を忍んで外出するときは決まって夜。必ず腰に刀を差していたそうです。診療のときも患者と対面せず、来客があれば障子の穴から顔を覗かせる程度だったといいます。
それは、彼女が周囲の人間に対し、貧しさゆえのみすぼらしい姿を見せたくなかったからでした。
藩から旧臣との縁談を持ちかけられたときも、お婉は拒絶しました。
「あの兼山の娘である私が、衣食に困らない生活がしたいからといって、旧臣の妻になるわけがない」
野中家はお婉たちの代で途絶えることが決まっています。それでも彼女は、身分の低い者と結婚するという、野中の名前に泥を塗るような行為を拒んだのです。
医師としての野中婉の逸話
コウノトリの不思議な草
貧しい生活を送っていたにもかかわらず、貧しい庶民には無料で診療を行っていたお婉。彼女の心の優しさを表すこんなエピソードがあります。
朝倉山の松の木に、大きなコウノトリが巣を作っていました。近所の子どもたちがその卵を焼いて遊んでいたそうです。鳴き騒ぐ親鳥に驚いたお婉は、子どもたちに少しのお金を渡してそれをやめさせ、卵を巣に戻しました。すると、親鳥がどこからか草を持ってきて、それを卵にかぶせました。数日後、卵からひな鳥が生まれたといいます。
草に不思議な力を感じたお婉。試しにそれを材料に薬を調合してみると、あらゆる病気によく効いたそうです。
お婉さまの糸脈
人と顔を合わせないように生活していたお婉。どのように患者を診ていたのかというと、患者の手首などに巻いた糸を隣の部屋まで伸ばし、その端を握って感じる脈拍で診察していたそうです。
この診察によって調合された薬で病気がよく治ったことから、人々から「お婉さまの糸脈」と呼ばれ、お婉は評判の女医となったのでした。
ある日、いたずら好きの村人がお婉のもとへ診療を受けに訪れました。ただ、その人が糸を巻いたのは自分の手首ではなく、猫の足。お婉の診察方法を疑っていたのか、ただただ意地悪をしたかっただけなのか、とんだ嫌がらせです。診察が終わると、お婉はいつものように薬を処方しました。
完全にお婉を騙しきったと思って家に帰った村人は、しかし、薬の包を開けて驚きます。包のなかには、細かく刻んだかつお節が入っていたのです。
悲劇に身を置きながらも持ち続けた医師の精神
高知県香美市に「お婉堂」と呼ばれて親しまれている「野中神社」が立っています。これはお婉が48歳のときに、旧臣の古槙氏らと協力して建てた祠堂。父の兼山をはじめ、死んでいった兄弟姉妹や生母、野中に仕えた忠臣たちが祀られた霊廟です。
自分が死ねば野中の血は途絶えてしまうから、その前に――。無念のうちにこの世を去った一族のために、彼女は祠堂を建立したのでした。
朝倉の地域医療に従事し、一族の誇りを最後まで守り抜いたお婉。65歳のとき、彼女は朝倉の安履亭で孤独な死を迎えました。
その一生はあまりにも悲劇的で、同情することさえはばかられるものでした。それでも彼女は、病に苦しむ人間を救おうとしたのです。医師としてのその精神は、現代でも見習うべきものなのではないでしょうか。
(文・エピロギ編集部)
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<参考>
広谷喜十郎「女医・お婉さん(一)-高知市歴史散歩-」(『高知市広報あかるいまち 3月号』、1998)
(https://www.city.kochi.kochi.jp/akarui/rekishi/re9802.htm)
広谷喜十郎「女医・お婉さん(ニ)-高知市歴史散歩-」(『高知市広報あかるいまち 2月号』、1998)
(https://www.city.kochi.kochi.jp/akarui/rekishi/re9803.htm)
こちら男女共同参画センター ソーレ「時代をかける女たち 野中婉」
(http://www2.sole-kochi.or.jp/jyoho/play/place1/bbe04s3.htm)
高知市春野郷土資料館「はるの昔ばなし 八田堰の苦役」
(https://www.city.kochi.kochi.jp/deeps/20/2019/muse/hanashi/hanashi1.html)
榎戸誠の情熱的読書のすすめ「40年間も幽閉され、外部との接触を禁じられた女の心理・・・【山椒読書論(205)】」
(http://enokidoblog.net/sanshou/2013/06/9048)
香美市「野中神社(お婉堂)」
(http://www.city.kami.kochi.jp/map/nonakajinja.html)
高知県の観光情報サイト よさこいネット「野中神社(お婉堂)」
(http://www.attaka.or.jp/kanko/dtl.php?ID=922)
フジテレビ「わが旅わが心」(1979)
西條敏美『理系の扉を開いた日本の女性たち-ゆかりの地を訪ねて』(新泉社、2009)
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