ノーベル賞で辿る医学の歴史

第11回 数千年来の謎を解く、結核菌の発見

「その前年に人類のために最大の貢献をした人たちに、賞の形で分配されるものとする」
アルフレッド・バルンハート・ノーベルの遺言によって創設されたノーベル賞。その一分野である医学・生理学賞の受賞を振り返ると、人類と病の闘いの歴史であることがわかります。いまでは当然と思われている医学の常識が成立するまでに、研究者たちは多くの困難を乗り越えてきました。
今回は細菌学者として偉大な業績を残し、人々を病気の苦しみから救ったロベルト・コッホを中心に結核の歴史を振り返ります。

 

炭疽病、結核、コレラ……数々の「病原菌」を発見した医師

炭疽菌や狂犬病のワクチンを開発したルイ・パスツールと並び、「近代細菌学の祖」と呼ばれる人物がいます。ロベルト・コッホ――炭疽病や結核、コレラなど数々の病原菌を発見した功績を持つ医師です。

彼は1843年にドイツ中央部のクラウスタールという街に生まれました。幼い頃から昆虫や小動物の観察を好み、父親からもらった虫眼鏡を手離さなかったといいます。中学校を卒業すると教師の勧めもありゲッティンゲン大学で医学を学びましたが、中でも顕微鏡を用いた微生物の研究に強い興味を抱いていました。

普仏戦争(1870年に起こったプロイセンとフランスの戦争)に軍医として従事したコッホは、戦後に衛生技士の資格を取り、伝染病の研究を始めました。当時、ヨーロッパではコレラや炭疽病の流行が問題となっていたのです。中でも炭疽病は数多くの家畜を死に至らしめ、農民を苦しめていました。黒い血を吐き息絶える動物たちを見て、農民は「悪魔のたたりだ、死神がやってきた」と恐れましたが、コッホは自身の研究から、炭疽病の原因が微生物であるとにらみました。そこで彼は、炭疽病にかかった牛の血液を顕微鏡で観察します。すると読み通り、血液中に細い糸状の微生物を確認したのです。

「この糸状の微生物こそ、炭疽病の原因に違いない」
そう確信したコッホは、微生物の病原性を確かめる実験に移ります。健康なハツカネズミの尻尾に傷を付け、培養した微生物を擦り込んだのです。その結果、ハツカネズミは炭疽病を発症して次々と死んでいきました。こうして微生物の病原性が証明されるとともに、炭疽菌が発見されたのです。

1876年、コッホはこの実験を元に病原性を持った細菌が存在することを証明し、論文『炭疽病の原因』を著しました。病を引き起こす微生物の存在は大きな話題となり、コッホは一躍時の人となります。田舎の医師が一流の研究者として認められたのです。
ちなみに、微生物を採取、培養し他の動物に感染させて病原性を示す証明指針は「コッホの原則」として細菌学の基礎になりました。結核やコレラの発見など、その後の感染症研究の発展に大きく貢献しています。

 

結核菌の研究でノーベル賞を受賞

1880年、37歳のコッホはドイツ帝国衛生院の特別顧問に迎えられ、潤沢な資金と素晴らしい研究設備、そして2人の助手を得ました。この環境を利用してコッホが取り組んだのが、結核菌の研究です。

結核の起源は古く、紀元前3000年頃のエジプトのミイラにもその痕跡が確認されていますが、原因は数千年もの間謎のままでした。19世紀は世界中で結核が猛威を奮っており、死者の7人に1人は結核のために命を落としたといわれています。「白いペスト」と呼ばれ恐れられた結核ですが、コッホは結核患者が出たと聞けば危険も顧みず現場に飛んで行き、原因の解明に努めました。

「患者の命を救いたい」
その一心で研究に没頭し、時には病院の遺体置き場で夜を明かすこともあったというコッホ。血の滲むような努力の末、彼は1882年に結核菌を発見します。その方法は結核にかかったサルから組織を採取してモルモットに移植、感染を起こさせるという「コッホの原則」にのっとったものでした。 結核菌発見のニュースは瞬く間に世界中を駆け巡り、医療の世界に衝撃を与えました。何千年もの間人類を苦しめてきた結核の正体を、コッホはほんの数年間の研究で突き止めたのです。

1885年に彼はベルリン大学の教授に就任し、エミール・ベーリングや北里柴三郎など数々の細菌学者を指導しました。そして1905年、「結核に関する研究」の業績でノーベル医学・生理学賞を受賞します。コッホは62歳になっていましたが、その後も現役の研究者として、感染症研究のために世界各地を飛び回りました。

 

結核治療とワクチンの開発

医師として、人の命を救うことを最優先に考えていたコッホ。彼は結核を治療するためにツベルクリンを開発しましたが、これは後に効果がないことが分かりました。現在は治療薬としてではなく、結核菌の感染診断に活用されています。

結核のワクチンが初めて開発されたのは1921年のこと。フランスのアルベール・カルメットとカミーユ・ゲランが結核の予防ワクチン「BCG」を開発したのが始まりです。1944年にはアルバート・シャッツとブビー、セルマン・ワックスマンら3人が「ストレプトマイシン」を発見し、21 歳の女性患者の治療に成功しています。なお、この功績からワックスマンは、1952年にノーベル医学・生理学賞を受賞しました。

さらに1946年には「パラアミノサリチル酸」、1952 年には「イソニアジド(イソニコチン酸ヒドラジド)」1971年に「リファンピシン」が発表され、より効果的な抗結核薬が生まれました。これらの薬を併用する治療法により、結核は完治可能な病気となりました。

 

今なお続く結核菌との戦い

結核の治療が可能になった今でも、人類と結核菌の戦いは続いています。世界保健機構(WHO)の発表によると、2015年には世界で約1,040万人が結核を発症しました。

中でも「多剤耐性結核」は大きな課題の一つです。これは結核の標準療法に用いられる第一選択薬に耐性を持つ結核です。治療では第二選択薬を用いるのが一般的ですが、第一選択薬に比べて効果が弱いため、その治療成功率は52%程度に留まります(2016年、WHO調べ)。

なお、第二選択薬に耐性を持つ菌を「超多剤耐性結核菌」と呼びます。超多剤耐性結核は化学療法が事実上不可能であり、肺葉切除や全摘などの外科療法が必要です。治療成功率は28%程度(2016年、WHO調べ)とかなり低い水準に留まっており、治療の難しさがうかがえます。

これら特殊な結核の主な原因は、不適切な薬物治療です。そこでWHOは、患者の服薬を医療従事者が見届ける結核治療システム・DOTS(Directly Observed Treatment, Short-Course:直接服薬確認治療)を開発しました。服薬指導を行うことで耐性菌の発生を予防し、結核の完治へとつなげる動きです。日本でも2000年より医療機関と保健所が連携する日本版DOTSが導入され、結核撲滅に向けた取り組みが行われています。

 

「完治する病」と言われながら、結核は未だに年間180万人の命を奪っています。その脅威はエイズウイルスやマラリアよりも大きく、2015年には世界で10人に1人が結核で亡くなったとのデータもあります。結核治療には、適切な服薬指導を行うこと、そして患者に治療の重要性を理解してもらうことが欠かせません。「人々を病気の苦しみから救いたい」というコッホの思いを受け継ぎ結核を根絶するためにも、世界中の医療従事者が広く協力していく必要があるのではないでしょうか。

(文・エピロギ編集部)

※2020年6月9日 記載内容の誤りについてご指摘がありましたので訂正いたしました。

 

<参考>
有吉忠行(著)、子ども文化研究所(編さん)「せかい伝記図書館 13 ノーベル マーク・トウェーン コッホ」(いずみ書房、2012)
ウィリー・ハンセン、ジャン・フレネ(著)、渡辺格(翻訳)「細菌と人類―終わりなき攻防の歴史」(中公文庫、2008)
テルモ「医療の挑戦者たち(28)受け継ぐ者がいる限り、進歩は終わらない。(北里柴三郎/ルイ・パスツール/ロベルト・コッホ)」
(http://challengers.terumo.co.jp/challengers/28.html)
サイエンスジャーナル「第5回ノーベル生理学・医学賞 コッホ『結核に関する研究』」
(http://sciencejournal.livedoor.biz/archives/929703.html)
ストップ結核パートナーシップ日本
(http://www.stoptb.jp/dcms_media/other/01_rekishi.pdf)
J-STAGE「特集 感染症の診断と治療、予防―最近の進歩―」
(https://www.jstage.jst.go.jp/article/naika/102/11/102_2922/_pdf)
ラジオNIKKEI「感染症TODAY」2016年1月6日放送
(http://medical.radionikkei.jp/kansenshotoday_pdf/kansenshotoday-160106.pdf)
Reinsurance Group of America リフレクションズ28号
(http://www.rgare.com/docs/default-source/newsletters-articles/1888_reflections_28_japaneseweb070815.pdf)
厚生労働省検疫所「結核について(ファクトシート)」
(http://www.forth.go.jp/moreinfo/topics/2016/10181157.html)
厚生労働省検疫所「FORTH|新着情報|結核の10の事実」
(http://www.forth.go.jp/topics/2016/10271327.html)
国境なき医師団「結核:半世紀ぶりの新薬の登場から3年たつも、普及は必要な人の2%にとどまる」
(http://www.msf.or.jp/news/detail/pressrelease_2610.html)
産経ニュース「世界結核デー:新薬登場から2年--新薬を使用できた薬剤耐性結核(DR-TB)患者はわずか2%」
(http://www.sankei.com/economy/news/160323/prl1603230203-n1.html)
公益財団法人結核予防会結核研究所「日本版DOTS―これまで,そして,これから」
(http://www.jata.or.jp/rit/rj/370-08.pdf)

 

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