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第2回 ペスト患者の瀉血と看取りをする医師募集(ヨーロッパ・14世紀)

募集要項
・勤務時代:14世紀中頃
・勤務地域:ヨーロッパ(イタリア、フランス、ドイツ、イギリス等)
・勤務内容:ペスト患者の診察、瀉血等の治療、看取りなど

仕事内容詳細
ペスト患者の自宅等での脈診や尿検査による診察、および瀉血等による治療、薬の処方など。診療の際には専用のマスクを着用、肌の露出を防ぐなどして感染に十分に注意すること。

ペストの恐怖を避けるための「鳥の仮面」

歴史上、ペストが世界的に大流行し多大な被害が出た事例は何度かあります。その中で、被害がとりわけ甚大だったとされるのが1340年代からの大流行です。ネズミやノミが媒介するペストは、東ヨーロッパからイタリア、フランス、ドイツ、イギリスや北欧地域まで広がり、ヨーロッパの全人口のおよそ3分の1が失われたとさえいわれています。

ペストが流行をみせた際、医師の間で流行した仕事着が、図中のいわゆる「ペスト医師」のスタイルです。鳥のくちばしのようなものがついた仮面と、皮の衣服、手袋、マント風の上着を身につけ、多くはつば広の帽子をかぶり杖を持った姿で描かれています。

当時は瘴気(ミアスマ)と呼ばれる悪い空気が病気の原因となると考えられていたため、ペスト医師の衣服はできる限り外気との接触を避けるようにできていました。また、呼吸する空気を浄化するため、仮面のくちばしのような部分には香りの強い薬草や酢を含ませた海綿が入っていたそうです。目も外気に接しないように、ガラスの眼鏡がかけられていました。
ただ実際のところ、病気を避けるために工夫された衣服でありながら、このマント風の上着はペストノミの温床になりやすい環境だったそうです。

ペスト患者に臨む医師たちは、脈診や、尿の色と濁り具合の観察などによって診察をします。病人の吐息には高い感染力を持つ瘴気が含まれていると考えられていたため、脈を取るときには患者から顔を背ける医師が多かったそうです。その後、「悪い血を抜く」瀉血や、浣腸や催吐剤により腐敗したガスや食物の残りを体内から取り除く、殺菌効果があるとされた酢水で顔や手を洗う、といった治療が行われました。また、先述の「病気の原因となる悪い空気」を追い払うため、病室で薪を燃やして煙により空気を浄化する、といったことも行われていました。

しかし、こうした治療は実際のところ、成果を挙げたとは言い難かったようです。ほとんどの患者は治療の甲斐もなく次々と亡くなっていき、また治療にあたった医師たちの多くも病に倒れ死んでいきました。
診療にあたった医師には、一般開業医のほかにペスト患者を専門に診る「地域ペスト医」もいましたが、ペストの前で無力であることには変わりがありませんでした。古来のガレノス医学や占星術に基づく医療が行われていた中世のヨーロッパにおいて、ペストは人間が太刀打ちすべくもない“自然災害”だったのです。

 

疫病がもたらした恐慌

当時は北里柴三郎氏のペスト菌発見より500年以上も前のこと、誰にも病気の原因や感染経路は分かりません。
有効な対処法もないまま、次々と病に倒れ、敗血症で黒い痣だらけになって死んでいく中で、人々は一種の恐慌状態にありました。後世の記述によれば、ペストに罹った病人を家族が見捨てて逃げることが多々あり、逆に善意から病人に近づく者は同じように病に侵されて、命を奪われたとされています。ペストは人の身体や命だけでなく、家族の絆や友情、隣人愛、思いやりといった道徳観念まで破壊していったのです。
家族すら病人に接することを厭う中で、医師や介護人には法外な報酬を得て患者の世話を引き受ける者もいました。中には医学教育などろくに受けていない「素人同然の」医師も多かったそうです。
たくさんの人が亡くなった町では墓地がいっぱいになり、集団墓地の墓穴を掘ってそこに死体を投げ入れました。中にはまだ息をしている人が投げ込まれることもあったといいます。

人々がペストの恐怖にさらされる中でスケープゴートにされたのが、各地に住んでいたユダヤ人です。「ユダヤ人が井戸に毒物を投げ込んだためにペストが広まった」という噂が広まり、多くのユダヤ人が迫害の憂き目を見ることになりました。彼らは尋問の末「井戸に毒を投げ入れた」という自白を強要され、殺害されました。

また、キリスト教的な世界観を背景に、ペストの大流行を「神罰」と見做す傾向もありました。この中で、本来は刑罰である「鞭打ち」を自ら受けて、罪を贖おうとする「鞭打ち苦行者」の活動が盛んになりました。

さらには、多くの人たちが、いつ自分に訪れてもおかしくない死の恐怖を前に、できる限りの贅沢を尽くして享楽に走ろうとしたことが記録に残されています。
疫病の原因も分からず、効果的な治療法も見いだせない状況では、人々がただひたすらに現実から逃れようとしたのも、無理からぬことかもしれません。

 

疫病より恐ろしい? 病を武器にした人々

中世の時代には罹患がほとんど死と同義に近かったペストですが、これを戦争の兵器として使用した事例があります。

1347年、黒海沿岸のカッファ(現フェオドシア)の町は、ジャニベク・ハンの率いるタタール人に包囲されていました。このとき、タタール人の間でペストが流行し、毎日のようにたくさんの死者を出していきました。窮地に陥った彼らは、なんとペストで死んだ味方兵士の死体を投擲機に縛り付けカッファの町に次々と投げ込んだのです。籠城中のカッファ市民は死体を運び出すことも逃げ出すこともできず、やがて町の中にはペストが蔓延して、多くの犠牲者を出しました。タタール人はペストを、おそらく有史上では初めての細菌兵器として使用したわけです。
またスペインでは、ペストが蔓延した際にいくつかの町で、暗殺を目的として敵国の王やその情婦にペストを感染させようとした、という話が伝わっています。

現在では、細菌兵器の使用はジュネーヴ議定書で禁止されていますが、恐ろしい病気を兵器として使おうとする人間の思考は、病気と同じかそれ以上に恐ろしいといえるかもしれません。

(文・エピロギ編集部)

 

<参考>

ベルクドルト、クラウス『ヨーロッパの黒死病 大ペストと中世ヨーロッパの終焉』宮原啓子・渡邊芳子訳(国文社、1997)

一般財団法人 海外邦人医療基金「感染症ノスタルジア(4)『文明を進化させてしまう魔力...ペスト』」(閲覧日:2015年5月11日)
http://www.jomf.or.jp/include/disp_text.html?type=n100&file=2003020102
デイリーニュースエージェンシー「アートとデザイン 特異な衣装を身にまとい黒死病と戦った17世紀ヨーロッパの『ペスト医師』」(閲覧日:2015年5月11日)
http://dailynewsagency.com/2013/12/02/plague-doctors-xss/
「ペスト医師 – Wikipedia」(閲覧日:2015年5月14日)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E5%8C%BB%E5%B8%AB
小池寿子「身体をめぐる断章 その13 体液の脅威」(閲覧日:2015年5月15日)
https://www.nttdata-getronics.co.jp/csr/spazio/spazio66/koike/main.htm

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