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第7回 古代中国で不老不死の薬を製造する医師募集

募集要項
・勤務時代:紀元前2~3世紀頃
・勤務地域:秦(中国)
・勤務内容:不老不死の薬の発見または研究・製造

仕事内容詳細
蓬莱山の仙人から不老不死の薬をもらい皇帝に献上する(または仙人を連れてくる)こと。
これが不可能である場合、不老不死の秘薬「丹薬」について研究し、完成させること。
医術と呪術に詳しい者に限る。

永遠の命に焦がれた秦の始皇帝

紀元前221年、歴史上で初めて中国を統一し、中国で初めて「皇帝」を名乗った人物がいました。その者の名は、嬴政。そう、「秦の始皇帝」です。
彼はそれまでの封建制度ではなく、圧倒的な支配力を持った中央集権国家を構築。外征によって領土を拡大し、万里の長城を建設するなど、その力は実に強大なものでした。

富、名誉、権力、美女、美食。始皇帝は、欲するものは何でも手に入れました。
しかし、それだけ大きな力を持っていた彼にも、最期まで成し遂げられなかった夢があります。
それこそが「不老不死の実現」なのです。

「この治世を永遠に続けるために、永遠の命を手に入れたい」
それが中華を手に入れた支配者の次なる夢だったのです。

 

医術と呪術を使った古代中国の医師

それにしても、「不老不死」とはなんとも突飛な要望です。思わず「これだから支配者は」と言いたくなってしまいます。
ですが、実はこの「不老不死」、中国では古くから多くの研究者が取り組んできた真面目な「研究テーマ」だったのです。
たとえば秦の始皇帝が中国を統一するおよそ800年前、中国に周という王朝がありました。この時代の行政制度を記した書物『周礼』(儒教経典のひとつ)によれば、医師は4つの専門医に分類され、序列が決められていたようです。

『周礼』による医師の分類と序列

・No.1 食医
皇帝など王族の食事を作る(食事で病気を治す)医師。
・No.2 疾医
薬で病気を治す医師。現代でいえば内科医。
・No.3 瘍医
刃物を使って病気を治す医師。現代でいえば外科医。
・No.4 獣医
獣(軍馬や牛など)の病気を治す医師。現代の獣医とほぼ同様。

周王朝の時代には、すでに薬剤や鍼灸、按摩、瀉血といった治療法が体系化しつつあり、医師の見立てによって医療が提供されていました。一方で、病気の原因は「祖霊の怒り」であると考えられていたため、医師と呪術師の区別はあいまいだったようです。

『周礼』で分類された医師のほか、秦の時代には、医療技術としての呪術「医方術」を使う「方士」や「道士」と呼ばれる存在もいました。
彼らは、秦代で浸透していた「道教」(中国三大宗教のひとつ)の求道者であり、医師・薬剤師・呪術師・祈祷師と広範な役割を持つ、占星術や天文学に秀でた者たち。「麻沸散」という麻酔薬を用いて外科手術を行ったことで有名な「華佗」も、医師であり方士でありました。

彼ら「道教」の徒の最終目標は自然と一体になり、仙人になること。つまり、「不老不死」。そう、彼らこそ「不老不死」の実現に正面から取り組むマジメな研究者だったのです。
当然、始皇帝は彼らにこう命じます。

「仙人に不老不死の秘薬をもらうか、仙人を連れて来い」

 

見つからない「秘薬」と「仙人」

こうして多くの方士・道士たちが「不老不死」実現を目指す中、ひとりの方士が始皇帝に重大な情報をささやきます。
「東方の三神山、『蓬莱』『方丈』『瀛洲』には不老不死の霊薬がある」
徐福。
日本にも多くの伝説を残す方士です。
始皇帝は彼に数千人の童男童女とあらゆる分野の技術者、さらに五穀の種子を持たせ、彼に「不老不死の秘薬探訪の旅」を命じました。

結論から言うと、巨万の富にも値する財を与えられた徐福は始皇帝の元には戻りませんでした。その後、徐福がどうなったのかは諸説紛々。なかには「日本にたどり着き王となった」という説も。
結局、彼の手で「不老不死の薬」がもたらされることはありませんでした。

 

見つからぬなら、作ってしまえ!

莫大な費用をかけたのに、薬を見つけられず、仙人も連れてこられず、ましてや蓬莱山すら発見できなかった始皇帝。しかし、彼の不老不死への思いが消え失せることはありませんでした。今度は方士たちに、不老不死の薬を作るように命じます。
彼は考えました。そう。見つからぬなら、作ってしまえばいいと。
こうしていよいよ注目の求人、「不老不死の薬を製造する医師(方士)募集」が誕生したのです。

当時、方士が取り組んでいた製薬術を「煉丹術」といいます。この「煉丹術」、主に金属の普遍性に不老不死を見出そうという取り組みでした。多くの金属の中で、方士たちに珍重されたのが水銀。金属でありながら液様を示す水銀は、まさに神秘そのもの。始皇帝のために煉り上げられた霊薬。この薬にも水銀が多く用いられていたと言われています。

 

丹薬のレシピ ~九鼎丹のひとつ"丹華"~

丹薬には非常に多くの種類と製法がありました。ここでは比較的作り方が簡単な「丹華」という丹薬のレシピをご紹介します。
丹華は「神丹」や「還丹」と並ぶ、「九鼎丹」のひとつに数えられる丹薬です。九鼎丹のうち、いずれかひとつでも飲めば仙人になると信じられていました。

China_recipe

 

化学が発達した現代であれば、この薬がいかに危険なものかは一目瞭然。しかし、薬学と神秘が同居していた当時、なんとかして水銀の神秘を身体に取り入れようと研究が繰り返されていたのです。
始皇帝の求人に応募してきた方士たちもまた、こうした研究に没頭していたに違いありません。そして始皇帝は彼らが作り上げた「不老不死の薬」を信じ、願いを込めて服用していったのです。

 

不老不死の実現は時間の問題?

不老不死の身体を手に入れるために「丹薬」を飲んだ始皇帝。しかし即位37年目にして、彼はこの世を去ります。『史記』には病死という記述はありますが、詳しい死因は明らかになっていません。ただ、彼が水銀を含んだ丹薬を飲んでいたことは、その死に大きく影響していると考えられます。

不老不死を求めた始皇帝。その思いが強欲ゆえのものだったのか、それとも中華に永遠の安寧をもたらしたいという思いからだったのか。もはや知るすべはありません。
不老不死の薬を作る医師、求む。
数千年前に掲げられたこの求人に応えられる医師は、まだ誕生してはいないのです。
生命そのものへの挑戦ともいえるこの求人。解答は、まだまだ先になりそうです。

(文・エピロギ編集部)

 

<参考>

鈴木寛二『ああ仁なり漢文帝の生涯』(文芸社、2007)
ひろさちや『世界の宗教がわかる本 成り立ち、儀式からタブーまで』(PHP研究所、2003)

日本臨床漢方医会「漢方の歴史」
https://kampo-ikai.jp/contents/column2/
埼玉県立図書館「見はてぬ夢を追って 徐福伝説と不老不死」
https://www.lib.pref.saitama.jp/stplib_doc/reference/list/jyohuku.html
田辺三菱製薬のヘルスケア製品サイト「医食同源」
http://www.mt-pharma.co.jp/healthcare/school/alive03.html

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